GOTCHA!について、BWについて

 あまりの衝撃に思考が纏まらないフェーズを乗り越え、ようやく例のMVについて「すごい」「やばい」程度ではない、いくらか意味のある称賛を送れそうな心境になったので、備忘録として文字に残しておく。
 

 

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 ポケモンを一作品でもプレイしたことがあるのなら、少なくともワンシーンは胸に来る瞬間があったことだろう。
 王道のシーンを切り取りながら、不意打ち気味に差し込まれるプレイヤーの実体験の象徴*1が『当時主人公だった自分』を思い起こさせて、初見では開いた口が塞がらず、二回目以降は目頭が熱くなるのを抑えられなかった。
 あらゆるプレイヤーに対する配慮*2が随所に見られ、それぞれの作品に対するイメージを公式が大切に扱っていることが何よりもうれしく、シリーズのファンでよかったとしみじみ思う。


 当初は公式のファンに対する理解度が凄まじいのかと思ったが、きっとそうではない。
 あのMVはファン目線だ。ポケモンというゲームに対して感じるもの、思い描く情景があまりにもプレイヤー目線に近い。
 SNSで揶揄される「ポケモンオタクが作ったポケモン公式動画」という表現は恐らく的を射ている。
 私が妄想していたポケモンの世界が、そこにはあった。

 

『ポケットモンスターブラック・ホワイト』公式サイト

 ブラック・ホワイトの話をさせてほしい。
 私が本格的にポケモンにのめり込んだのは、ブラック・ホワイト(以下BW)、所謂第五世代と呼ばれる世代である。
 ポケモン対戦の黎明期を抜け、本格的に対戦ゲームとしての体を為し始めた時期だ。
 その評価は賛否両論*3で、中でも槍玉に上がりやすいのが、ポケモンシリーズの中で今もなお異彩を放つストーリー本編である。


 BWにはライバルと呼ぶべきキャラクターが三人登場する。
 幼馴染の二人、競い合う友人と共に歩む友人。彼らは主人公である私たちと同じ目線で、当たり前のようにポケモンに触れて育ち、同じ日に旅立つ。ポケモン世界における当たり前の象徴だ。
 対するもう一人のライバル、Nは全く毛色が異なる。ポケモンと会話ができる彼にとって人間とポケモンは対等な友達で、遍くすべてのポケモンの人類支配からの開放を望む。
 彼もまた、幼少期からポケモンに触れて育ってきたことには変わりないが、それは社会の常識から隔絶された特殊な環境であり、彼は自分とポケモンの間に優劣や差異を見出さなかったのだ。


 主人公とライバルたちは道中で幾度か戦いを繰り返し、敗北や勝利、人との関りを経て考え方を変化させていくのだが、Nと主人公は根本のところで思想が食い違っており、相容れることは無い。
 Nの考え方は理想的で、きっとそうあるべきなのだろう。真に絆があるのなら、ボールの呪縛から解き放っても人とポケモンは手を取り合っていけるのだろうし、少なくともNにはそれができる。
 問題は、それが出来ない人間もいるという点だ。あの世界におけるポケモンは最早生活の一部であり、あらゆる産業の根幹を担っている。発電までポケモンが行っている地域さえあった。これを切り離してしまうと、多くの人間が路頭に迷うどころか、文明そのものが消滅の危機に瀕することは想像に難くない。


 主人公は、性質的にはNと非常に近い。ポケモンと対話こそできないものの、あらゆるポケモンに懐かれる素養を持っている。
 きっと彼/彼女はNの理想とする世界でも今と変わらない生活を送れることだろう。
 Nの綺麗事を肯定しても彼/彼女にはほとんどデメリットがなく、彼/彼女が止めなければNは伝説のポケモンを従えて世界を作り替えたに違いない。

 それでも、彼/彼女は、プレイヤーは、Nを止めるのである。
 ポケモンとトレーナーの関りが単なる主従関係ではないと証明しなければならない。ここまでの道程を否定させないために。
 選ばれた数人だけがポケモンと絆を育む世界が、世界中全ての人間がポケモンと共に日々を送る世界よりも果たして理想的なのだろうか。
 自分の理想こそが唯一の真実だと信じて疑わないNに、別の理想を、別の真実を叩きつける。
 BWが描いたのは、答えのないイデオロギーの対立だった。
 お子様向けだと舐めてかかっていた当時の私が対戦の沼に浸かった切欠は、Nとの決戦における複雑な心境の答えを対戦の白熱に求めたからなのかもしれない。
 
 このBW組がMVにおいてどこに割り当てられているかというと、アローラ組*4が楽しく笑って燥いだ直後、歌詞でいう『きみの命が揺れるとき』のタイミングである。
 女性主人公の瞳に真実の竜を従えたNが映り、そのNの瞳には理想の竜を従えた男性主人公が映る一連の流れで、彼らの顔には表情が無い。
 最早お互いのことしか眼中に無く、言葉は既に尽くして、それでも分かり合えないのだから、あとは力で屈服させるしか相手を止める方法がないという、諦めと覚悟の表情があれなのだ。
 1フレーズ分しかない数秒で『BWとはどういう作品か』をこの上なく表現した映像である。
 
 私がBWについて語ったのはたまたま思い入れが深かったからだが、作品の数だけ、プレイヤーの数だけ思うことは様々だろう。
 あらゆるシーンが明解に描かれていながら、各人へ想像の余地*5さえ残してくるのだからたまったものではない。
 24年間の歴史がフルオート射撃かましてくる映像作品を正面から受けとめて、私たちは次なる冒険へと向かうのだ。

 

 冠の雪原で、伝説が待っている。

 

*1:金銀の主人公が繰り出すデンリュウなどは、物語上何一つ強制された要素ではない。とはいえ、登場タイミング等を考慮すると多くのプレイヤーが電気枠をデンリュウで埋めたのではないだろうか。

*2:グリーンのパーティーフシギバナがいる以上、このレッドは最所にゼニガメを選んだレッドである。レッドがカメックスを相棒に据える媒体は少ない。これも最所にゼニガメを選んだプレイヤーに対する配慮だろう。

*3:道中で過去作に登場したポケモンが一切出現しない、チャンピオンとはエンディング後にしか戦えない、対戦は切断にペナルティ無し。生き生きと動くポケモンのドット絵、わざマシン周りの利便性向上など。

*4:サン・ムーン。こちらは逆にシリーズ随一の明るい作品である。表面上は。

*5:金銀主人公の手持ちはバンギラスデンリュウのみが判明しており、最初のポケモンは出されていない。意図して描写されていないのならば、彼は間違いなくプレイヤーの分身である。